森岡 元隆(もりおか もとたか)は、江戸時代中期の弘前藩士。

生涯

延宝8年(1680年)、森岡元長の子として誕生。

才気煥発で主君・津軽信政からの信任が厚かった。元禄15年(1702年)9月、家老となると、200石加増され、1,200石になり、宝永3年(1706年)700石、同5年(1708年)600石の加増で2,300石となった。翌年(1709年)、6代将軍・徳川家宣が全国の大名に鶴の献上を命じると、諸大名は生類憐れみの令を気にしてなかなか献上しないところ、将軍の命であるとして反対派を抑え献上し、家宣から称賛された。翌年、信政の霊廟建築の惣奉行となった。

正徳2年(1712年)、高照神社の遷宮挙式を前に死去した。実はこの死は信政を追った殉死で、信政が死去した宝永7年(1710年)の12月には自宅で切腹しており、当時殉死が禁じられていた為、2年後に届けたという。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社

「強豪国と戦えるのはただただ羨ましい、純粋にワクワクします」元サッカー日本代表主将・森岡隆三は“4人の選手”に勝利のカギを見た 文春オンライン

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