岩倉家(いわくらけ)は、村上源氏久我家庶流の公家・華族の家である。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は公爵家。明治維新の功臣岩倉具視で著名な家。通字は「具」(とも)。
歴史
封建時代
権大納言・右近衛大将久我晴通の四男具堯を家祖とする。具堯ははじめ相国寺の僧となっていたが、元和(1615年‐1624年)年間に還俗して昇殿を許され、分家の堂上家を興した。当初は桜井を家号にしたが、2代目の具起から京都洛北の岩倉村の所領にちなみに岩倉を家号とした。
村上源氏久我家の分流として堂上源氏十家のひとつに数えられ、公家としての家格は羽林家、新家、内々。一条家の家札。家業は有職故実。家禄は150石。
初代具堯の二男千種有能の系譜からは千種家と植松家が出た(→千種家、→植松家)。
また一門から臨済宗の高僧一絲文守が出た。彼は幕府の権勢におもねる禅宗界の墜落ぶりを嫌悪し、栄利を求めず孤高の気韻ある隠者の禅を目指した。その高潔さに感心した後水尾上皇の知遇を得て東福門院、皇女梅宮、近衛信尋、烏丸光広など上皇側近の宮廷貴族が続々と彼に帰依、仏頂国師という国師号を賜った。また彼は岩倉具視が隠棲した霊源寺を開山したことでも知られている。
江戸時代中期の当主恒具と尚具親子は桃園天皇の信任厚い側近であり、竹内式部から神道を学んで尊皇家として活動していたが、宝暦事件で徳川幕府の弾圧を受けて失脚させられた。そのため徳川幕府が滅した後の明治24年(1891年)に明治天皇より2人の勤王の功が賞され、それぞれ正二位、従四位が追贈された。
岩倉具視の登場
江戸時代後期から明治初期の当主は岩倉具慶。その養子である岩倉具視は、公家堀河康親の次男であり、具慶の長女誠子と結婚することで岩倉家の婿養子となった。具視は幕末期にはまだ家督前の身だったが、朝廷政治の中心的人物として活躍し、王政復古と江戸幕府倒幕に大きく貢献、新政府で枢要な地位を占め、太政官政府のもとでは太政大臣三条実美に次ぐ右大臣に就任し、参議・内務卿大久保利通と共に明治前期に実質的に国政を主導した。明治5年(1872年)から明治6年(1873年)の岩倉使節団の団長としても知られる。
明治2年6月17日の行政官達で旧公家と旧大名家が華族として統合されると、岩倉家も旧公家として華族に列した。明治2年9月26日の復古功臣賞典禄では、具視に5000石が下賜された。5000石の賞典禄は公家華族の中では三条実美と並ぶトップの受領高だった。また先立つ明治2年6月2日の戊辰戦功賞典禄では具視の次男具定に300石が下賜されている。
明治3年12月10日に定められた具慶の家禄は、現米で278石。
明治6年2月13日に具慶が死去し、同年2月20日に具視が家督した。明治前期の具視の住居は東京府麹町区宝田町にあった。
明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄(278石)と賞典禄(実額1250石)の合計1528石と引き換えに支給された金禄公債の額は、6万2297円79銭5厘(華族受給者中106位)。旧公家華族の中では三条家に次ぐ金禄公債額だった。またこれと別に具定も先の賞典禄(実額75石)と引き換えに4077円8銭1厘(華族受給者中443位)の金禄公債を支給された。
明治16年(1883年)7月20日に死去した具視には正一位太政大臣が追贈された。
具視の死後
具視の死後は婿養子の具綱(正二位左衛門佐富小路政直の子。具視の長女増子と結婚して婿養子となる)が一時的に家督したが、明治17年7月7日には隠居し、具視の次男である具定に家督を譲った。
同日に華族令施行で華族が五爵制になったのに伴い、翌8日に具定は公爵に叙せられた。叙爵内規上の家格のみの基準だと岩倉家は子爵だったが、具視の功績で3階級特進が認められたものだった。また分家からも、具視の三男岩倉具経を家祖とする子爵家(→岩倉子爵家)、具視の孫岩倉具徳を祖とする男爵家(→岩倉男爵家(具徳))、具視の四男岩倉道倶を祖とする男爵家(→岩倉男爵家(道倶))の3家の華族家が出ている。
また具視の次男で奈良興福寺に入って正知院住職になっていた具義は維新後に還俗して一家を建て南岩倉家を創設しており、公家の堂上格を経て華族の男爵家になっている(→南岩倉家)。
宗家の初代公爵具定は学習院長や宮内大臣などを歴任した。具定は勤勉で浪費することもなく資産を増やした。大正2年時にの資産家一覧表では岩倉公爵家は100万円以上の資産家であり、霞ヶ関の岩倉邸は明治天皇の第一皇女の御用邸だった場所であり、また葉山にも別荘を持っていた。しかし実際の家計はかなり大変だったらしく、具定が明治43年に死去すると、2代公爵具張に11万円余の相続税が発生し、5年賦で納付することになったが、明治44年度から滞納し、その結果世襲財産の利子7000円余を税務署に差し押さえられた。
具張は、皇太后主事兼宮内書記官の地位にあったが、北海道の鉄道延長計画があるので、今から予定地を購入しておけば、地価暴騰利益を得られるという山師の投機話に騙されて、かなり高い地価で当該土地を購入する羽目になり、その総額は数百万円に及んだ。ところが、事業者である三菱は技術者の判断に従って慎重に用地の選択を行い、鉄道用地とは触れずにひそかに廉価で土地買い占めを行っており、鉄道の延長線はこの三菱の買収地に引かれた。具張は投資金を回収できないばかりか、巨額の負債を抱えた。
お人好しで男前の華族だった具張は女にもよくすり寄られ、特に芸者の一人桃吉と昵懇になり、麹町三番町に「桃吉御殿」と呼ばれた豪邸を作ってやったり、8万5000円もの巨額のダイヤのネックレスをプレゼントしたり、有楽橋あたりに洋食屋を経営するための事業資金を出してやったりして、彼女のために20万近く金を使った。
こうしたことで、やがて負債総額は300万円の巨額に達した。さらに大正2年にはこの負債の整理を助けるといって「華族殺し」の異名を持つ高利貸平沼専蔵が具張に接近。具張は有価証券50万円を担保に平沼から10万円の手形を振り出させる契約をまとめたが、平沼に手形の裏書人を要求され、祖父具視が世話をした関係で懇意の土方久元に裏書人になってもらったが、結局担保の有価証券を平沼に差し出すことはなかったので、平沼に貸金30万円の本金請求訴訟を起こされた。大正3年7月21日の判決により岩倉公爵家の霞ヶ関本邸は差し押さえられた。それだけでは返金に足らず、裏書人の土方も平沼から1万円の取り立てを受けた。
具張は負債累積など家政紊乱の責任をとって、宮内書記官や皇太后主事を辞職。さらに大正3年9月1日に隠居し、12歳の息子具栄に爵位と家督を譲った。爵位を譲ると同時に具張自身は岩倉公爵家から分家した。自分の負債を息子に背負わせないためと思われる。
大正4年2月1日には神田橋税務署において岩倉家の霞ヶ関本邸が競売にかけられた。分家筋の岩倉道倶男爵(具視の孫)が落札し、由緒ある本邸だけはなんとか岩倉一族の手にとどめた。これだけでは相続税4万円には足らないので、2月6日には葉山別邸も競売にかけられ、こちらはどうにもならず人手に渡った。
この後、具張は桃吉が御殿を売却した資金で浜野茂から購入した福島市飯坂温泉の邸宅に桃吉と二人で暮らした。しかし大正5年には債権者の大橋銀行が「突然隠居して分家し公爵家と関係のない人間として無資力になるのは詐欺である」として具張を告訴するとともに、具栄に38万円の損害賠償請求訴訟を起こしている。
この問題がひと段落した頃の10年後の昭和5年春に具栄は、帝室林野局の官僚になるとともに旧津藩主家の藤堂高紹伯爵の令嬢良子と結婚することになった。
富裕な大名華族との縁組が決まって、ようやく岩倉公爵家の家計も回復の兆しが見えてきたという中で、具張の娘靖子の左翼活動問題が起き、岩倉家に再び激震が走る。靖子は、いつからかは明確ではないが、日本共産党シンパとなり、昭和7年(1932年)には「五月会」(華族など上流階級の女性の社交場だが、実態は共産党シンパ組織)の結成に携わり、昭和8年(1933年)1月に治安維持法違反で警視庁特別高等警察に検挙された。彼女と一緒に検挙された八条隆孟(八条隆正子爵の次男)や森俊盛(森俊成子爵の嗣子)とともに「赤化華族」として新聞紙面に報じられ話題となった。彼女は11月に共産主義を放棄する転向を宣言したため、12月には市ヶ谷刑務所から釈放されたが、その後まもない12月21日早朝にかみそりで右頸動脈を切って自殺した。23日付けの朝日新聞は彼女の自殺について「縁談もあったが、自責の念から死を急ぐ」と報じている。
3代公爵具栄の代の昭和前期に岩倉公爵家の邸宅は東京市渋谷区鉢山町にあった。
具栄の長男具栄は英文学者で法政大学教授。その長男の具忠はイタリア文学者で京都大学教授。
系図
- 実線は実子、点線(縦)は養子。
支流
別家名の分家
岩倉家の分家の公家・華族としては、まず岩倉具堯の二男千種有能にはじまる千種家がある。千種の家名は村上源氏の遠祖である具平親王がその邸宅から千種殿と称されたのに由来する。同家の公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家だった。同家の詳細は千種家の項目を参照。
また千種家の更に分家の公家・華族に千種有能の三男植松雅永にはじまる植松家がある。同家の公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家だった。同家の詳細は植松家の項目を参照。
また岩倉具視の次男南岩倉具義が、明治初期に奈良興福寺から還俗して公家の堂上格を経て華族となり具威の代に男爵に叙せられた南岩倉家がある(いわゆる「奈良華族」の一家)。同家の詳細については南岩倉家の項目を参照。
岩倉子爵家
岩倉具視の三男岩倉具経は、戊辰戦争に際して東山道鎮撫副総督、奥羽征討白川口副総督を務めて戦功を挙げ、その勲功により明治元年6月に本家と別に新たに堂上家を創設することが許され、切米40石を与えられるとともに、翌明治2年に戊辰戦功賞典禄で200石を下賜された。
明治3年12月10日に定められた家禄は、現米で254石1斗。明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄(254石)と賞典禄(実額50石)の合計304石と引き換えに支給された金禄公債の額は、1万3776円(華族受給者中297位)。
その後具経はイギリス、アメリカ、ロシアに留学し、帰国後諸官を歴任し、明治17年7月に華族令施行で華族が五爵制になると男爵位を与えられた。明治23年には宮中顧問官に任じられるが、同年10月27日に死去。息子の具明が男爵位と家督を相続し、明治24年4月に亡父具経の勲功により子爵に陞爵した。具明夫人知子は前田利聲の娘。
昭和13年に具明が隠居し、長男具正が子爵位と家督を相続した。具正夫人鶴代は白土留彦次女。昭和前期の子爵家の住居は東京市中野区野方町にあった。
岩倉男爵家(具徳)
岩倉具視の長女誠子とその夫で具視の婿養子の岩倉具綱の間の次男具徳を家祖とする。具徳は幼い頃の明治16年7月に岩倉家から分家し、祖父具視の勲功により特旨をもって華族に列せられた。
明治17年7月に華族令施行で華族が五爵制になると共に男爵に叙せられた。昭和前期に男爵家の住居は東京市杉並区阿佐谷にあった。具徳夫人敬子は戸沢正実子爵の四女。
具徳の長男に具清、具清の長男に具言がある。
岩倉男爵家(道倶)
岩倉具視が晩年に儲けた四男岩倉道倶を家祖とする。道倶が、明治29年12月に岩倉公爵家から分家し、父具視の勲功により特旨により華族の男爵家に列せられたのに始まる。
道倶は、東京帝国大学文科卒業後、貴族院の男爵議員に5期当選して務めた。また川崎造船所や千代田火災保険などの企業の取締役を務めた。昭和前期に男爵家の住居は東京市牛込区市谷仲之町にあった。
道倶の長男泰俱は海軍主計大尉だった。泰俱の長男に親倶、親倶の長男に誠がある。
その他の分家
岩倉具定公爵の次男具幸、三男具美、四男具高、五男具顕、六男良具はいずれも分家した(非華族の分家)。俳優の上原謙の妻で女優の小桜葉子(本名岩倉具子→池端具子)は、具顕を父に持つ。小桜葉子と上原謙(池端清亮)の長男が俳優・歌手の加山雄三(池端直亮)である。したがって加山雄三は岩倉具視の玄孫にあたる。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。
- 刑部芳則『京都に残った公家たち: 華族の近代』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー385〉、2014年(平成26年)。ISBN 978-4642057851。
- 太田亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 岩倉 イハクラ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、516頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/331 国立国会図書館デジタルコレクション。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4642035859。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036702。
- 倉本一宏『公家源氏―王権を支えた名族』中央公論新社〈中公新書2573〉、2019年12月。ISBN 978-4121025739。
- 佐々木克『岩倉具視』吉川弘文館〈幕末維新の個性5〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4642062855。
- 田尻佐「国立国会図書館デジタルコレクション 岩倉恒具」『贈位諸賢伝』 1巻、国友社、1927年、4294頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915574/122 国立国会図書館デジタルコレクション。
- 橋本政宣『公家事典』吉川弘文館、2010年(平成22年)。ISBN 978-4642014427。
- 千田稔『明治・大正・昭和華族事件録』新人物往来社、2002年(平成14年)。ISBN 978-4404029768。




